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明華の呟き。
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昔話を一つ。

私が産まれ育ったのは大きな病院が一ヶ所、幼稚園は二ヶ所しか無い小さな小さな市でした。

しかしそんな小さな市に小学校は何故か無駄に八ヶ所もあり、それぞれ区域ごとに近い場所に通って居た訳ですが私が6年間を過ごした小学校は全学年1クラスしか無く、転校や転入を除けば6年間同じメンバーと言う少子化を肌で感じざるを得ない状況でした。

中学校は四ヶ所で、やっぱりそのままほとんどの子が同じ中学に進む為産まれてから中学卒業までの間を一緒に過ごした子がたくさん居ました。

そんな背景を前提に、話を小学生時代から始めます。

私は小学生の頃から一緒にトイレに行ったり群れて行動するプロトタイプな女子が苦手で、家で一人でゲー ムしたり本を読んでる方が好きな子でした。

友達が居なかった訳では無いし友達の事は好きだったけど、好きだったのはクラスの中でも5人位。

後の子はあまり好きじゃなくて、誘われたらまぁ遊ぶけど自分から誘うなんて事は無かったのです。

そんな中、一時期毎週水曜日はクラス全員で遊ぶ日と決まった事がありました。

今考えても余計な事しやがってと言う感じですが、当時の私もやっぱり同じ事を感じており…、まぁぶっちゃけサボってました。

一度帰宅してランドセルを置いてから集合と言うルールだったので、これ幸いと帰宅したまま学校に行かずに一人でゲームを楽しむ日々。

でも何処にでも居ますよね、仕切りたがりで正義感の強い女子。

うちのクラスにもも ちろんそんな子が居ました。

その子達は私と同じ様にサボタージュする男子や私の家までわざわざ迎えに来る訳です。

お母さんは仕事、弟は学童保育で家に一人の私はもちろん居留守。

まぁ気が向いて行く事もありましたがそんな感じで何やかんやと理由を付けてはサボる日々でした。

それが気に食わなかったのか正義感が強いハズのその子達に虐められたりもしました。

しかし私は鈍かったのか負けん気が強かったのか親にも先生にも相談しないどころか
靴を隠されれば見つけて履いて帰るし
机に落書きがあれば消して何事も無かったかの如く使用するし
その子達にハブられたって他の子は別に仲良くしてくれるからどうでも良かったし
と、それはもう苛め甲斐の無い子で した。

今思うと鈍すぎる気がするけど、その暖簾に腕押し状態が良かったのか苛めはすぐに無くなりました。

まぁ苛めって言っても可愛いもんですけどね。

で、そんな感じで一匹狼とは言わないけれど一人でも大丈夫な感じでのらりくらりと過ごしていたのが多分オタク化への第一歩。

そして友達と遊ぶより家が好きだった私は夕方には家でアニメを見るのが当たり前になっておりました。

当時やってたアニメはほとんど見てたかもって位見てたのですが、ある日CCさくらを見て空を飛ぶ事や魔法を使う事に激しい憧れを抱き、雪兎さんのほんわかスマイルに撃ち抜かれて眼鏡ラヴになりました。

そこが私のオタク化への第二歩。

更にそれまでゲームと言えばスーファミでヨッ シーアイランドとかさめがめとか親がやってたからルールも解らず麻雀とか平和な感じのものばかりだったのですが、友達の家に遊びに行った時にその子のお兄ちゃんがやっていてビートマニアに興味を持ち、プレイさせて貰った瞬間だだハマりしたのがオタク化への第三歩。

更に更にその子とその子のお兄ちゃんの影響で小学校高学年から中学一年生までにデバイスレイン、リンダキューブアゲイン、俺の屍を越えて行け、ガンパレードマーチ、J2等々当時の10代がプレイするには少々コアなゲームと出会い、中学に上がった後は駅前のゲーセンに入り浸る立派なオタクになりました。

そんなこんなでその頃にはクラスの女子はギャル予備軍、一般人、オタクの三種類に分類分けが出来るようになってい ましたが、何故か当時はオタクがまだあまり居なかったんですよね。

でも当然ギャル予備軍とは相容れぬので、遊ぶ時は大抵決まった子とカラオケかゲーセンか渋谷のアニメイトと言う嫌な中学生でした。

当時の私に多大な影響を与えた作品は

最遊記
封神演義
シャーマンキング
スクライド
SO2
風のクロノア
ガンパレードマーチ
ビートマニア

上記7作品。

ゲームは何周したか解らない位にやり込んだし最遊記とシャーマンキングにはいくら使った事やら…(´・ω・)

因みに私の相方とも呼べる私をお兄ちゃんと共にこちら側へ引きずり込んだその子は所謂腐女子でした。

なのでその子の♂×♂の萌え語りやBLゲープレイなどにも付き合わされてたのですが私は「良く解らん世界だ なぁ」と言う程度で不快感こそ無いものの嵌まるには至らず。

最遊記は八戒、マンキンは蓮、封神だとナタクと言う一貫性の無いキャラ萌えを抱えながらも自分が何故801に萌えないのかは解りませんでした。

そのまま時は流れ中学二年生。

選択授業と言う物が登場し、技術、美術、体育の3つから選択した授業を一年間受ける事になった私は、女子などほぼ皆無の技術を選択します。

体育はテニスだったからギャル予備軍が多くて嫌だったし、美術は当時の私は絵を描く事がそれはそれは嫌いだったので技術以外の選択肢が無かったのです。

で、技術の授業でパソコンに出会った私は簡単なCOBOLでのプログラミングを習いのめり込み自宅にもパソコン欲しい…!!と思いました。

我が家 は微妙に変わった方針で中学になった時に郵便局の通帳を渡され、今後は自分でお金を管理して欲しい物は基本的に自分で購入する様に、とのお達しを受けます。

なので月のお小遣いやお年玉やお手伝いなどで得た収入はオタクグッズやお菓子や遊びに使いつつ割と堅実に貯金もしてました。

しかしいくら何でもパソコンは買えないのでお母さんに言いました。

私「パソコン買って下さい」

母「いいよー」

そして私の部屋に設置されたのはMacintoshのインディゴブルー…orz

今と違い安いもんじゃ無いのに自棄にすんなり買ってくれたなぁと思ったら、広告デザイナーだったお母さんが自分も使いたかったからと言う事で買ってくれたのでした。

私がWindowsとMacintoshの違いを知ったのは部屋にMacintoshが設置され た後で、右クリックとか左クリックの概念が無いわIEもWindows以下だわ何が何だか解らない上に解る人は解るでしょうが当時のネット環境と言えばモデムでピーヒョロロロ…ビガッビガッ、ザザザザッ、…ピーー…ですよ。

一般家庭は基本的に重量課金だから長時間使えないしイラストレーターを弄る位しか使いどころの無いパソコンでガッカリしたのを覚えてます。

それでもやっぱりデジモノに触るのが好きだった私は絵を描くのが嫌いな癖にイラストレーターをちまちま弄り、誰に教わる訳でも無くちょっとずつMacintoshに詳しくなって行き、たまにネットに接続してはシャーマンキングなどの作品を扱ってるファンサイトを巡って満足してました。

そして此処でまた運命的な出会いをした訳です。

それは忍たまの夢小説サイト。

どうやって辿り着いたのかは覚えてませんし夢小説にのめり込むきっかけになったそのサイト様も残念ながら解りません。

ただ、検索結果に表示されたリンクを何となくクリックし、急に名前を入れる欄が表示され(今でこそCookieを利用した名前変換が多いですが当時はポップアップ式で作品ごとに一々名前を入力する方式が主流でした)、とりあえず名前を入れてみると滝夜叉丸とラヴラヴしてる自分の小説が…!!

衝撃的でした。

こんな素敵な機能があったなんてと感動すらしました。

そして理解しました。

そうだ、私が求めていたのはこれだったんだ、大好きなキャラが他のキャラと絡むなんて嫌だ、私は私としてキャラといちゃいちゃしたかったんだ!!

こうして一瞬で夢小説の虜になった私はそのサイト様の作品を全て読み漁り、他のサイト様も巡りまくり、マンキンやら最遊記やらスクライドやらの夢小説を片っ端から読みました。

夢小説にも書き手によって当たり外れがあり、原作丸無視で誰だよこれ状態な文章に憤慨したり、逆に素晴らし過ぎてのたうち悶えたりしている内に、脳内で自分だったらこんな話を書くのになぁ、こんな風にキャラといちゃいちゃしたいなぁと妄想する様になり、せっかくだからとテキストファイルに打ち込んでみたりして着々とドリーマーへの道を歩いて行ったのでした。

そうこうする内に高校受験を考える時期に差し掛かり、色々あって(単純にサボってた)数学で3点と言う素晴らしい記録を叩き出した私を危惧した母親に「私も結構馬鹿だったけど3点は無いわ」と急遽数学、歴史、英語の3教科の家庭教師を付けられ、否が応でも勉強しなきゃいけない状況に追い込まれ、まぁちゃんと勉強すれば人並みにはなるようで点数は無事に70点~90点まで上がり、どうにか推薦で高校に入る事が出来ました。

そして入学したのは情報コースのある高校で、特進科が1クラス、情報科が2クラス、後は普通科が5クラス位の高校でした。

中学でも吹奏楽部だった私は高校でも吹奏楽部に入部します。

中学の時の吹奏楽部ではオタクなんか皆無だったのですが、高校の吹奏楽部はそれなりに同類が多く相方以外の腐女子と出会ったのもこの時でした。

もう家庭教師なんて付けられたくないと言う一心でそれなりに真面目に授業を受け、部活に勤しみ、帰宅してからはアニメを見て漫画を読んでニヤニヤしネットで夢小説を読みながらニヤニヤすると言う典型的なオタク女子として過ごす内に、情報の授業でHPの作り方を習います。

今までHPは専用のツール(HPビルダーとか)が無いと作れないと思っていた私は「何だ、ツール無くてもHPって作れるんだ!!」と、帰宅後自分でも作ってみようと試行錯誤を開始。

レンタルサーバだとかHTMLタグだとかFFFTPだとか色々な知識をネットで拾い読みしては試して上手く行かなくて首をかしげてまた試して…。

どうにかこうにか完成し、初めて自分のサイトとして立ち上げたのは当時はまってたアイシールド21の夢小説サイトでした。

サイト名は確か「Blue-Blue」とかだったような気が。

何でそんな名前にしたのかは謎。

アイシは当時かなりの人気だったし私もかなり嵌っていたので夢小説の数は地道に増え、カウンターも順調に回り、何となくミスフル夢が増えたりして充実した管理人ライフでした。

しかし通帳に続き我が家のちょっと変わった家庭方針の一つに「大学生になったら一人暮らしをするべし」と言う物があり、小さい頃からいずれは一人立ちするもんだと思っていた私は高校一年生の途中からアルバイトを始めます。

平日は部活で土日はバイトの生活は中々ハードで、気付けば更新する暇も無く私のサイトは放置状態に。

更に追い討ちを掛ける様に大好きだった蛭魔がまも姉と良い雰囲気になり出してしまった為急激に熱が冷め、夢が書けなくなって益々放置。

でも放置している間にもカウンターは回り感想なども届き、それが心苦しかった私はサイトを潔く閉鎖。

今思うと別に残しておけば良かったのにとも思いますが、やる事なす事極端なのは親譲りかなと。

で、サイトの更新をしなきゃと言う気持ちが無くなりスッキリしたのか暫くはバイトに勤しむ普通の高校生として過ごしていました。

2年生になり、バイトにも慣れ部活にも慣れ成績も安定し余裕が出来た私は忍たま熱が再燃して再度サイト作りを開始。

そうして出来たのが、何で青から黒になったのかはやっぱり謎だけど旧【A,Black-Calm】でした。

何か当時の私は嫌に暇と情熱を持て余していて、更新頻度もそれなりに高く、意欲的にサーチなどに登録して他のサイトの管理人様とも交流し、多分自分史の中で一番ネット充してたんじゃないでしょうか。

私は夢書きだったけど、801好きの知り合いもたくさん居たし夢もホモォもどっちも好きで良いじゃないかと言うスタンスでした。

別館として忍たま以外の作品を扱った【A,Blue-Calm】も立ち上げたり、他サイト様とコラボしたり、勢い余って忍たまのOPとEDのMIDIを耳コピのみで作ったり、今思うと何であんなに情熱溢れてたのかと呆然とする程のやる気っぷりでした。

時は流れて3年生後半。

気付けばそろそろ大学を決めなければいけない時期。

同じ吹奏楽部だった友達も受験の為に大半が引退していました。

そんな中やっぱりのらりくらりと引退もせず志望校も定めず特に変わらない日々を過ごしていた私を、心配した教師が呼びつけました。

師「志望校とか決めたの?」

私「いいえ」

師「将来の夢とかは?」

私「特に無いです」

師「成績は良かったっけ?」

私「悪くは無いです」

師「じゃぁもう推薦でも受けてみる?」

私「イイネ!!」

こうして私は中学、高校、大学と全過程で受験を経験しないまま片田舎の大学に推薦で受かり通う事になったのでした。

大学入学後も特に大学デビューする訳でも無くちょこっとV系に走ったりしながらも私のオタク魂は揺るぐ事なく、方針通りに一人暮らしも初めてバイトで溜めたお金で新しいPCも買って忙しいながらも更新を続ける日々。

とは言え大学が片道1時間半位だったのと、三味線のサークルに入ったのと、生活費の為にアルバイトを始めた事で徐々に更新頻度は落ちて行きます。

そして更新頻度が2ヶ月に1回程になっていたある日、借りていたサーバ(infoseek)より「無料サーバ廃止する事にしたから」的な通達がありました。

で、どうしようかなぁ、別のサーバ借りて移動しようかなぁ、等と考えている内に時間は過ぎ行き、ハッと気付けばサイトは跡形も無く消滅しておりました★

orz

幸い夢小説のデータはローカルにバックアップがあったので助かりましたが、それ以外は全てパー。

「まぁ最近忙しくなって更新どころじゃなかったし、これを機にやめるか!!」と、此処で二度目の引退決意。

以降は大学で気の会うオタ友も居ないし割りと大人しく過ごし、極普通の大学生活を送りました。

さて、あっという間に大学も卒業シーズンになりますが、此処でもやっぱり私は進路が決まらず。

内定が取れてないって言うかそもそも就職活動してないしみたいな状態でしてね。

両親や家元や教授や色々な人に心配されながらのらりくらりと過ごしていると、ある日行き着けの美容室のおいちゃんに呼び出されました。

知「就職決まったー?」

私「まだっす」

知「じゃぁ俺の知り合いの眼科でシステム課に一人欲しいって言うから紹介しようか?」

私「イイネ!!」

またしてもトントン拍子に話は進み、私は大学卒業と共に晴れて眼科のシステム課に…と思いきや、何故か配属されたのが秘書課でね。

PCの前に座っていたくて受けたのに秘書なんてPCに全く触れないしドクターと患者さんとの右往左往。

何でも秘書課で一人欠員が出てしまって人手が足りないから急遽人見知りしなさそうな私を秘書課にやったんだと。

いやいやいやいや無理です嫌です勘弁してください、とは言えず。

とりあえず研修期間の3ヶ月は眼科で秘書してました。

でも、何やっても失敗するし病院に着いた瞬間眠気が襲うしとことん自分に向いていない事を毎日毎日痛感する事になります。

しかも眼底検査中とか患者さんの頭を支えてあげたりしなくちゃいけないのですがそれが素手だからもう本当に嫌で嫌で。

世の中には向き不向きってあるんだなぁって実感し、人生で始めての挫折感を味わった3ヶ月間でした。

そして研修期間最終日、院長室に呼ばれます。

院「さて、今日で3ヶ月が経ちましたが、明華さんが良ければ明日から正社員として迎えます」

私「ごめんなさい、無理です」

院「えっ」

私「えっ」


・・・


かくして私の短い社会人生活は終わりを告げたのでした。

~Fin~




って言っても生活しなきゃいけないからね!!

今更実家とか戻りたくないし、何をするにもとりあえず金だ!!金を稼がなきゃだ!!

と言う事で落ち込む暇も無く速攻バイトを探し、昼間はカラオケと写真スタジオ、夜は居酒屋のトリプル掛け持ちフリーター生活開始。

今思い返しても良く解らないテンションで生きていたなと思います。

まぁこのフリーター生活をする中で、大学時代に腹を割って話した事の無かった友達が実は物凄い同類で大学に居た頃以上に仲良くなったり三味線倶楽部で身につけた着付けの技術が写真スタジオで役に立ったりカラオケバイトは就業後に一人カラオケが無料で出来る得点付きだったり、得る物は多かったです。

その後も紆余曲折あり、ようやく今の会社に入社し、引越しもして、生活が安定したある日、池袋に行く度に何となくデュラララの看板を目にして気になってはいました。

ただ、その頃は私はアニメや漫画は好きだけどキャラ萌えはあんまりしないレベルにまで浄化されていたので手を出すのを躊躇ってました。

正直何かに嵌るのが怖かったんですよね。

社会人で趣味の時間とか全然取れない中で、もしうっかり嵌ったりしたらストレス溜まって死ぬかもしれないし、どんなに嵌っても高校の頃のような情熱や時間は費やせ無いだろうし、なにより萌えるのってすっごい体力居るし…。

良いんだか悪いんだか色々と大人になっていた私はそのまま見て見ぬ振りをし続けてました。

でもアニメうっかり見ちゃって、それはもう見事に嵌っちゃって、滾っちゃって、しかも
今まで一人で悶々とするしか無かった萌えを大学の友達が共有してくれて、思いのたけは増長に増長を重ね、サイトも無いのに夢小説を書き始め、友達に送りつけ、満足する状態に。

そんな事を続けている内にふと「こんなに夢書きたいならもう一度サイト作るか…!!」と3度目の復活予告。

そして忍者を借りてあっという間にサイト復活。

ついでだから無駄に数がたくさんある忍たまも復活させてしまおう、どうせなら今まで日の目を見なかった作品も一挙に公開してやろう、ぁ、でもアイシだけは中学とか初期の頃の作品だから見せられたもんじゃないや;

等々、そう言った経緯で今のサイトが出来た訳です。

サイト名ももしかしたら昔のお客さんが見つけてくれるかもしれないなぁなんて淡い期待をしながらそのままにしてあるのです。

さて、非常に長かったですがこれが【A,Black-Calm】と明華の歴史です。

これからもなるべく長くこの歴史が続くと良いなぁと思ってます。

デュラララは本当に久々の大ヒット作品で、臨也には今までに無い位心の臓を打ち抜かれているので多分ずっと好きだとは思うんですけどね。

とまぁそんな感じでのらりくらりと運とノリで生きて来た明華は今後もこんな感じでサイト運営を続けて行きますので、皆様には生温かく見守って頂ければ幸いです。

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